2007年 06月 22日
数寄屋 01 |
市松と縞
コンテナでありながら ノマディック美術館 が美しいのは
微妙なバランスの色が市松模様に積み重なっているから
でしょう。
市松模様 の由来
江戸時代の歌舞伎俳優初代佐野川市松が「心中万年草」
という舞台で小姓・粂之助に扮した際、白と紺の正方形を
交互に配した袴を履いたことから人気を博し、着物の柄と
して流行からとのこと。
模様としてはそれ以前から存在するので、江戸時代以前
は石畳模様と称します。
グラフィックを楽しくまとめているサイトに「模様の名前」が
ありましたのでご紹介。
市松模様について
書いていると文字
までこうなります
市松模様でまず思い出すのは、桂離宮松琴亭の床の間です。
青と白の和紙でデザインされ、庭園を回遊して茶室でほっと
一息つくときに目にも鮮やかな意匠は効果的ですね。
建設当時は斬新でモダン、前衛的だったかもしれません。
松琴亭では他にもビロードの腰貼りがデザインされていたり、
数寄屋の遊び心が伝わります。
でもこの床の間、掛け軸が掛かっているところは見たことが
ありません。笑
数寄屋は昔からモダンであったことは知るほどにわかります。
それでいて古びないものが本物ともいえます。
写真は三渓園の茶室「春草盧」広間。
縦と横のラインで構成され、プロポーションの良さとパース
ペクティブの効果が豊かな空間を生んでいます。
この広間の襖は横縞。写真ではわかりにくいのですが和紙
染色が地味な色ながらモダンアートのようで感心しています。
(薄暗いところの長露光なのでピンボケ)
向こうに垣間見えるのが織田有楽(信長の弟)が作った茶室
「九窓亭」。三畳台目の小間に九つの窓が見事に嵌った、
好きな茶室のひとつです。
有楽は「有楽町」の名の由来の人物。現在名古屋犬山に現
存する国宝茶室「如庵」の作者でもあります。
国宝の茶室は三つだけ
他に利休作の「待庵」と大徳寺龍光院「蜜庵」
いつか話題にするのは必至
コンテナでありながら ノマディック美術館 が美しいのは
微妙なバランスの色が市松模様に積み重なっているから
でしょう。
市松模様 の由来
江戸時代の歌舞伎俳優初代佐野川市松が「心中万年草」
という舞台で小姓・粂之助に扮した際、白と紺の正方形を
交互に配した袴を履いたことから人気を博し、着物の柄と
して流行からとのこと。
模様としてはそれ以前から存在するので、江戸時代以前
は石畳模様と称します。
グラフィックを楽しくまとめているサイトに「模様の名前」が
ありましたのでご紹介。
市松模様について
書いていると文字
までこうなります
市松模様でまず思い出すのは、桂離宮松琴亭の床の間です。
青と白の和紙でデザインされ、庭園を回遊して茶室でほっと
一息つくときに目にも鮮やかな意匠は効果的ですね。
建設当時は斬新でモダン、前衛的だったかもしれません。
松琴亭では他にもビロードの腰貼りがデザインされていたり、
数寄屋の遊び心が伝わります。
でもこの床の間、掛け軸が掛かっているところは見たことが
ありません。笑
数寄屋は昔からモダンであったことは知るほどにわかります。
それでいて古びないものが本物ともいえます。
写真は三渓園の茶室「春草盧」広間。
縦と横のラインで構成され、プロポーションの良さとパース
ペクティブの効果が豊かな空間を生んでいます。
この広間の襖は横縞。写真ではわかりにくいのですが和紙
染色が地味な色ながらモダンアートのようで感心しています。
(薄暗いところの長露光なのでピンボケ)
向こうに垣間見えるのが織田有楽(信長の弟)が作った茶室
「九窓亭」。三畳台目の小間に九つの窓が見事に嵌った、
好きな茶室のひとつです。
有楽は「有楽町」の名の由来の人物。現在名古屋犬山に現
存する国宝茶室「如庵」の作者でもあります。
国宝の茶室は三つだけ
他に利休作の「待庵」と大徳寺龍光院「蜜庵」
いつか話題にするのは必至
by arcdesign
| 2007-06-22 23:54
| 数寄屋
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